2012年4月29日日曜日

Vol.13 「T/here」

日時:421日(土)4:00-4:45
展示タイトル(期間): T/here  (2012.4.5-4.29
展示作家:洗川寿華、マイク・チャン、クサナ・クドリャツェフ・ディミルナー、イバン・マリティネズ&ジョシュア・トゥリーズ、クリスター・オルソン

 参加者(敬称略):
洗川寿華&クリスター・オルソン(企画・展示者)、バート・ベンショップ&レオンティン・リファリング(レジデンス1)、サラン・ユコンディ(レジデンス2)、堀江映予&武田友理(交流基金)、村田達彦、村田弘子、椛田有理、進藤詩子(スタッフ)、進藤雅子(一般) 
司会:進藤詩子 
記録:椛田有理、進藤詩子、ジェイミ・ハンフリーズ

企画者による企画の解説
2000年代半ばから後半にかけ、LAで活動を共にした作家達は、現在世界のあらゆる場所へと散り、活動をしている。その状況を捉えることを出発点に、葉山プロジェクトを立ち上げ、場所と時間への考察をテーマにT/hereという企画を立ち上げた。T/here、展示とマガジンの出版を目的にしたもので、マガジンの位置づけは展覧会カタログ(作品解説)ではなく、共通したアイディアについての考察がされている文章から成り、開催地以外(海外を含む)にも配布されている。日本において、コマーシャルではなく、且つ、貸しギャラリーでもない場所を見つけるのは簡単ではないことを考えると、遊工房は展示に適した場所で、かつ遊工房のミッションと、今展の内容やオーガナイズの方法は相性がとても良いと言えるだろう。

企画者による作品解説とQ&A>
Flamingos Foreverbyイバン・マリティネズ&ジョシュア・トウリーズ
イバンの出身地、ベネズエラの文学の特徴と言える、時間を非直線的/継続的に捉える姿勢と、シカゴ出身のジョシュアの洗練されたヴィジュアル感覚が生かされている今作は、映画化に居たらなかったジョン・ウォーターズの脚本にヒントを得てストーリーを構想した。アプロープリエーションの手法で、オンラインで入手したマイアミ警察撮影の犯罪者写真やホテルの画像をキャラクターやロケーションに置き換え、量子論に沿った形で複数の物語が交差されていく。反転したかの様な非現実的なホテルの画像などが繰り返される今作は、‘可能な未来’を見せつつ‘選択という行為について沈想している。
文脈的には必ずしも日本の観客が分かり易いとは言えないが、オブジェクト、ビジュアルの観点から積極的に鑑賞されていたようだ。古いプロジェクターが撮影用のカメラを示唆したり、映像が投影される木の板が窓を塞いでいるのも象徴的だ。

untitledbyクサナ・クドリャツェフ・ディミルナー
動くオブジェのポートレイトをコラージュ又はドローイングするクサナ。ベルリンからL.A.の移住によって、彼女の制作環境は大きく変わった。公共機関で移動が可能なベルリンに対し、L.A.は高速での車の移動なしでは、人は孤立感を覚えざるを得ない。繰り返されるパターン、執着して塗り重ねられたワックスベースの色鉛筆の筆跡は、彼女の置かれた状況が反映されていると言えるかもしれない。
バート(参加者)の高速道路からの撮影に限定した風景の作品も、表現は異なるが、現代社会の速度、時間のプログレスを同様に反映しており、繰り返し移る類似した建造物も見える。又、コラージュが彼女の手法として知られているが、ドローイング作品においても、前後の動きを想像させられる構造や基礎にあるコンセプトは変わらない。

Room2 (After Dawn of the Dead)by マイク・チャン
消費社会を批判したゾンビ映画「Dawn of the Dead」がモチーフ。映画の中で、ゾンビに追い詰められてショッピングモール内の倉庫に閉じ込められた買い物客は、やがて段ボールを積み上げ家具や生活用品を模し、皮肉にも消費社会の代替となる暮らしを作り出す。マイクは、映画の主人公と現代アーティストを対応させる。アーティストは、スタジオという一見すると現実世界と隔離した空間に身を置き、理想主義的な表現を追求する時代は終わった今、現代社会に関わる作品を作れるだろうか?台湾出身のマイクはCalArtsで修士号を取得した後、シンガポールに移った。都市空間の中にある孤島のようなスタジオ空間を舞台とし、撮影された今作。コンセプトから作品を構築させるマイクらしい、答えを見つけるのではなく考え問い続けるという姿勢が、登場人物(作家本人)から伺える。或は漂流者にも見える。喪失感、無表情、といった傾向はまた、今展覧会で捉えられた人物像に共通しているようだ、そしてLAのある若者世代の表現の特徴とも言えるかもしれない。アーティストという職業の役割、営みを問うならば、例えば、遊工房のレジデンス作家に、生活者としてのアーティストという考え方を大事に滞在制作を行ってもらう、というコンセプトと、今作の設定と比較して考えるのも、面白い見方かもしれない。
Pumpby 洗川寿華 
インドアビーチやディズニーランドに代表される人工的な風景を描くジュカ。彼女にとって、劇場的な空間やステージと化すこれらの風景は、人々の想像や期待を明示しており、その中では、乱れない波の動きや人間の振る舞いがまるで永遠に繰り返されるようだ。
フレスコの様な色調、とコメントが出たが、彼女のペンティングのパレットは抑えた色調で、それは人工的な空の色、あるいは人によっては夢の中の色のようにも受けとれたようだ。実寸に近い大きさも、臨場感を演出あるいは示唆し、効果的だ。現実でも非現実でもない境界に存在する風景を、ペインティングというメディアに定着させる作業は、同時に、ペインティングという人工的なフレームの中に再現された世界を構築する行為とも言えるかもしれない。例えば、空の絵(ペインティング)を部屋に飾ることで仮想の自然空間を実現しようとする人も居るだろう。絵画が描くイメージ、絵画そのものの実世界における立ち位置についても、考えさせられる。
Easy Targetby クリスター・オルソン
横浜の古い民家に移り住んだクリスターは、日々、目に見える量で積み重なっていく埃に気付いた。そして、時間を所有するという概念を沈想する行為として、一年間、家の埃を集めることにした。ドメスティックな空間に対する、アート作品の箱の中という空間。長い足に支えられ高所に位置する神棚/神社のような箱に対し、地べたに置かれたドメスティックでノスタルジックな収納箱。外と中、上と下、といった関係性を暗示しつつ、見せ方のバリエーションも場所や状況によっては異なるだろう、という今作。一年という時間に凝縮されたドメスティックな日常とアーティストとしての日々の営みについて、どこまでコントロールができ又するべきなのか、どこまでは共有されそしてどこからが境なのか、作者も見る者も、クリアーな判別をすることは出来ないだろう。箱の作られ方も、ミニマルな基本構造を強化せざるを得ない状況におかれる毎に、パーツがまた1つ、更に1つ、と加わって行き、完成系へとは、半ば偶然的に誘導されたという話も、今作の常にプロセスされ得る、変化の状態である、という特徴を物語っている。


記録後記
セッションを終えて、「現実世界の反映」というテーマが浮かんだ。それは、身体的観察が体現された紙面、物語という虚構、人工的空間というステージ、スタジオ空間、彫刻的空間といったメディアを介して、各作家それぞれのアプローチで探求されているようだ。そして、上記のメディア自体の現実世界に置ける立ち居値、存在意義についての考察も示唆されている。
又、共通した姿勢として「繰り返す」という行為があるようだ。それが漠然とした全体から部分へと視点を誘導し、又、作家各々が暮らす場所の現実もにじみ出ていると言えよう。それは、アーティストは表現者である前に、自らの日常を出発点に、観察、考察する者であるという定義の証の1つともいえよう。そういったアーティストが製作する場合、芸術は虚構の世界ではなく現実世界と地続きである、という考えは、実践に移されているはずだ。
遊工房は、真摯にアーティスト活動を行う作家をサポートするというミッションを持つが、真摯な作家とは何か、という問いに応える作家による企画展だったと捉えられる。
引き続き必要な考察としては、今展のように、日本という文化背景に親しい観客にとって、文化的背景を共有しない作家達の作品に対し、どこまで作品に関与し、鑑賞し、考察を膨らすことが実際に可能か、という点だ。また、困難ならば、どのようなサブサポートが必要か、或は否か、など。そして、理解を深めるにあたり、今回の展示においてマガジンが果たす役割など、考察が続く。